私は、20歳くらいの頃、
仲良くして頂いていたある会社の社長の自宅へ遊びに行った時、
その社長に言われた言葉を、
今でも時々というより、たま~に思い出します…^^;
別に説教じみた話をしていた訳でもなく、
世間話のついでに話してくれたんですが…^^;
「オマエが悪いと言って、相手をさした指の3本は自分に向いている…」
というモノです。
今まで、
その時は絶対に自分は悪くないと思っていた事でも、
何年かあとに、
ふとした時、あの時もしかすると、〇〇だったから、
相手はあのようにしたのかな…?
と冷静に違う角度から見つめ直す事ができたりだとか、、
あとから、まわりの人に、
その時の相手の状況を聞いて、
納得できないままだったような事を
多少なりとも納得できたり…とか、
相手は、私の事を〇〇だと思っていたから、
あの時、相手は、あのような態度をとっいたのだ…、
と思っていたが、
実は、自分が思っていた事とは全然違う事で、
そうなっていたんだという事を知ったり…、
というような事が幾度となくあります…^^;
何か事が起こると、
その時の心のありようによっては、
普段は腹が立たないような事でも、
異常なくらいに腹が立ったりするような事もありますが、
この年になっても、
その瞬間は、「3本の指は自分に向いている…」
という言葉をスグに思い出す事ができません…。
でも、
スグに思い出せなくても、
何年後かに思い出す…、
という事であっても、
自分を見つめ直す事は必要だと思っています。
全て自分が正しいなどと思ったりはしていなくても、
知らず知らずのうちに、
それと同じような感覚で、
傲慢に物事を判断している時があるような気がします。
私自身は、
そんな程度の人間ではあるのですが、
最近、
中学生になった私の子供に、
「3本の指は…」の話をしてやってもいいかな…
と思ったりしています。
それを今スグに、
理解できなくても
実行できなくても全く構わないんです。
何年かあとに、
そう言えば、お父ちゃんがあんな事を言ってたなぁ~
と思い出してくれれば…、
それで充分です。
何故かというと、
他人の事を理解するには、
聞く耳を持つ事は当然必要ですが、
それ以上に、理解力というか読解力が必要だと思っています。
人の話の行間まで読み込み、そして理解する読解力です。
読解力の無い人は、
文章の中のたった一つの言葉だけに反応して、
視野を広げないまま判断してしまいます。
(私は、もろにそうなんですが…^^;)
それが正解の場合もあるのでしょうが、
普通に考えて、
そのような感覚では、なかなか正解に至らないような気がします。
中学生くらいの子供に、
それを求めても無理ですから、
自分の背丈にあった判断基準を養なっていけばいいので、
それに合わせて、
あのとき社長が教えてくれた言葉を
子供なりに照らし合わせて判断してくれればいいかな…
と思っています。
このような話は、
とてもデリケートで難しい問題ではあるのですが、
だからこそ、
子供のそれを養うチャンスを奪うような事は、
出来るだけ避けてやりたいと思っています。
そのチャンスとは、
子供が他人と接する時間を奪ってしまわないという事なんですが、
これまた、親として結構難しい問題でもあります…^^;
中学生や小学生や高校生が… ← トップページ